野口英世も、ぞうきんがけ・・・2006年12月05日 00時58分02秒

千葉某所'04秋『隠れた所にこんなモノも』

季節はずれの運動会に参加した。

といっても野外ではなく屋内(某体育館)を借り切っての運動会。睡眠不足の超ローテンションの身体を引きずりながら、各種目に参加した。中でも身にこたえたのが「バツゲーム」(何でやねん!!)、所謂「ぞうきんがけ」。
ああ、そんなん走るのに比べたら楽勝楽勝・・・とあなどるなかれ!! こども時分はそんなこと屁でもなかったが、日頃全く使わない筋肉には、体育館往復の往路でへばってしまうほどである。なんとか復路も走破したが、おかげで本日筋肉痛である。
「ぞうきんがけ」など滅多にやる機会はない。お手軽な運動と思われるだろうが、広い場所が必要とあって、実は環境的にお手軽運動には向かないようである。

しかしこの運動会、トラックの目印はトレペ使用、バツゲームはぞうきん使用、再生利用前提の備品の用意にはアッパレ、ぐうの音も出ない。

話は変わるが、5年生ともなると『野口英世』とかをまじめに学習しているようである。ワタクシのその癖毛(天パー)をじっと見つめ、「野口英世カット?」とか尋ねてきよる。最近の記憶を近しい現象?に結びつける、単純なヤツらよ・・・こどもの頃を思い、思わずほくそ笑んでしまう。いやいや、口に出す出さないの違いはあるが、こどもに限らない、人間の性か?それは大げさか・・・

市場開放しても市場ナシ!?2006年12月06日 01時32分32秒

千葉某所'04秋『たまたま通りかかっただけだが・・・コレは楽しかった』

ふと思いついてトランシーバを調べてみる。

今や携帯電話を個人で持つ時代、トランシーバなぞ不要であると思われるが、中継局のないところがあったり、常時接続しておきたい時もあり、ちょっと調べてみた。

(アマチュア無線など)免許不要な「特定小電力トランシーバ」であるが、最大2kmの距離で交信できるが市街地では数百m、単三アルカリ電池で数十時間もち、機体は生活防水レベル、20chのチャンネル数・・・が一般的なようである。KENWOODUBZ-LK20icomIC-4008Wなどが売れ筋のようだ。いずれもちゃんとした通信機器メーカ、似たデザインで価格も\15,000-程度、実売\13,000-くらいだろうか。
う~ん、2台は必要なので、かなりの出費となる。やはりあまり使う事が少ないモノなので、一旦止めておくこととする。

ところで、web上を探していたら、motorola社の安価なトランシーバを発見。近年はITなんたらと言ってケータイや通信機器の印象が強いが、そもそもは半導体製造会社である。AppleコンピュータCPUとして採用された(今はIntelCPUであるが)68000系PowerPCなんぞを製造しており、今なおPowerPCの産業用コンピュータも製造している。・・・トランシーバの話だが、なんと同じような性能で2台で1万円もしない!しかもより小型。ただ~し、本来は日本では使用できないようである。
電波法に触れるらしい。出力が大きすぎるのか(短い機種でも3.2km交信可能)、単に日本政府に申請していないのか・・・。しかし、この価格で日本仕様に合ったモノを作ってくれれば購入しやすいのは確かである。日本のようなケータイが氾濫している市場へは参入を控えているのか、ややこしい手続きがある割には市場も狭いのであろう。
webで販売していると書いたが、モチロン輸入品でただし付きである「日本では使用できません、海外でご使用下さい」・・・そんなモノがよく売れているそうである・・・
先日どっかで実物見た気がするが。

飽食時代の(?)一コマ2006年12月08日 01時20分02秒

千葉某所'04秋『某所近くの観覧車、偶然、幻想的な作品となった』

休日に、ひっさと行った散髪のついでに、ドラッグストアに寄った。

こまごました日用消耗品を購入するためで、いろいろ物色して一段落。ひっさは?と探してみると、当然の如く入浴剤コーナーで物色中。最近入浴剤を使っていなかったので、恋しくなったようである。いつもの「バブ」はもう卒業らしい、温泉系のパック箱と発汗系の高級?入浴剤を手に、アレでもないコレでもない、と、いろいろ考えあぐねておった。

しかし彼の場合、それ以外には全く興味がないのである。スナック菓子や飲み物には全く見向きもせずに、店を出て行くのである。(栄養飲料系は多少興味があったようだが)

飽食の時代のせいなのか、兄弟と食べ物を取り合うと言うことが無いためか、はたまたそういうヤツなのか。しかし、今思えば、小さい頃から食べ物には積極的には関わらないヤツであった。
注)
デザート類や高級食材除く。

ドラッグストアで一人入浴剤の前で考え込む小学生・・・ヤツだけであろう。

ラーメン鍋2006年12月10日 19時46分42秒

千葉某所'04夏『こんなオブジェ?にも興味津々、小さな楽しみのようだ。』

「ラーメン鍋」なるものをご存知であろうか!?

袋ラーメン1人前をちょうど作製できる程の大きさの、アルミ製の片手鍋である。十代後半の5年間は寮生活、この鍋には随分とお世話になったのである。サッポロ一番シリーズはもとより、チャルメラ・ワンタンメン・好きやねん・・・高級どころではマダム楊とか、果ては日清焼そばまで作製できるツワモノで(ぜんぶ具なしでの作製であったが)、昨今の「食育」とやらとはまるで縁のない話ではある。
しかも器など必要とせず、鍋から直接食べる(絶対条件!!)、これも真っ当な教育者から見れば懇々と叱られそうな話ではある。

当時寮生活ではやはり若かったので夜食が必要となるが、カップ麺などは高嶺の花、ガス代も無料の寮生活では袋ラーメンがダントツに人気。寮の食事は朝昼晩と\100,\200,\300と、1日あたり\600で、ご飯はおかわり自由であるが、古米。当時は欠食というワザを使って寮食代をキャッシュバック、数人集まり家庭配給の米で炊飯器で安い「釜飯の素」での食事も今は懐かしい話である。
バイトするようになって、たまにはお好み焼きの買い出しとか、ちょっと贅沢になったのである。しかし、それでもいざというときのラーメン鍋と袋麺は手放せなかった。

あれから当時の2倍以上の年齢で新陳代謝も低下、夜食でも食べようモノなら、体重増は著しく、悲しい限りではある・・・

こわっ・・・二重倉庫2006年12月12日 02時51分14秒

千葉某所'04夏『夏はやっぱりココ、テーマとは関係ないが、そりゃ楽しいだろ。』

学校の寮と言えば思い出すのが二重倉庫。

その学校は山々の間の谷に建ち、裏山は深々とした密林、グラウンドは正式陸上競技もできる400mトラック、繁華街へは1時間に1本もない高い運賃のバス(免許とったら原チャリや車だったが)で数十分、といった、実に田舎な立地である。寮は学校と山に挟まれて隣接しておった。

この寮の裏手(山ね。)の山道を歩いていくと、古めかしい倉庫がある。昔の日本軍の弾薬倉庫だったそうで、倉庫は二重倉庫(倉庫の中に倉庫、の二重構造)で弾薬破裂に備えたモノ、入り口入れば昼間でも真っ暗な闇が広がっている。
入学当初、寮での歓迎会ということで、そこに肝試しに行くのが慣例であった。一人ずつ寮から出発し、狭い山道登って二重倉庫へ、内倉庫と外倉庫の狭い壁の間を奥まで進み一番奥の紙に名前を書いてくる(1番目は紙を貼りに、最後は紙を回収)、これをリレーする、といった仕組みであった。

さて、いよいよ私の番、上級生が脅かしに行っていたのが解っていたので、気軽に山道を軽くランニング・・・しか~し!!!ナント脅かしに行っていた上級生が飽きたのかゾロゾロ戻って来るではないか!!! と、ゆーことはここから先は、暗い山道と気味悪い二重倉庫と遠くに見える寮の灯り、そして私一人・・・
とりあえず山道は事なきを得、いよいよ二重倉庫入り口に・・・「誰かいませんか~」脅かし役の上級生が残っているのを少し期待してみたが、やはり先ほど戻っていったメンツで全員であった。倉庫の中はあまりよく憶えていないが、肝試しルートの狭い空間には、水たまりはあるわ、ムシはいるわ、意味不明のゴミはあるわ・・・ローソクの火を消さないようにシズシズと進んで、名前を書いたとたんに猛ダッシュ!!!その後は・・・寮の部屋に入るまでまるっきり憶えていない・・・

おかげでそれ以降、それらしい空間でもあまり怖く思うことはなくなった・・・と、見せかけて、それは8年後に再び訪れる・・・(どうやら続くみたいやね)

ケータイ買いました。2006年12月17日 21時40分59秒

千葉某所'04夏『夏はやっぱりプール休憩が必要?』

ケータイを買いました。
もとい、買い増した。

docomoFOMAは、ケータイに内蔵のFOMAカードとゆーのを差し替えるだけで、直ぐに使えるようである。今までmovaではいろんな手続きを経てから新機種で使用可能であったが、FOMAからはようやくシンプルなカード式(スカパー!チューナなどもそうである)となり、煩雑さがなくなった。・・・そうそう、それで「買い増し」という表現となり、新機種が壊れてしまったり、壊してしまう心配がある場合に旧機種にカードを差し替えて使用できる、といった事になるそうである。

さて、今までは新製品発売間もなくの時期に、旧製品を1円とか5千円もしない価格でアップグレードしており、毎回薄い機種を選定していた。が、前回のアップグレード時に失敗、P901iVというとても分厚いケータイにしてしまったため、苦痛の日々であった。ムービースタイルという事で、まぁあってもイイかな?と思ってアップグレードしたが、ムービーはおろかカメラさえも使用しない。次はいっそのことカメラ無しのprosolid-IIにしようかと思っていた。

そこへ、motorolaM702iSの発売、FOMAで最薄型である。おりしも相方もP901iVの分厚さに参ってMusic携帯が欲しいところ、2台一度に「買い増し」た。相方はSO903iで、903seriesの中では最も薄かった。が、やはりM702iSの方が数段薄いのである。
そもそもほとんど使う事がないので、小さければ小さい方が良いケータイ、KO-210i => P503i =>P901iV => M702iS と、先代以外は小型薄型で、よく見ると、二つ折りケータイへの移行時に失敗してしまった様である。ちなみに相方は私より一歩遅れの運用なのに同じ歴代数で P503iS => P505iS => P901iV => SO903i と二つ折り一貫である。

先代P901iVM702iSの厚みを比べてみると・・・P901iVの本体部分(液晶無し)がちょうどM702iSの厚みであった。これには愕然・・・

しかし今回は新機種購入だったため大きな出費である(といっても数年前の新機種に比べて価格的ハードルは低いが)。長い事使いたいもんだ。そしてようやくの呪縛から逃れられた・・・
ホントはPDAと一体型のモノが欲しかったがdocomoでは思ったようなモノは無い、仕方なく薄型PDAと薄型ケータイを持ち歩く事になる。

ケータイM702iSその後・・・2006年12月19日 02時33分34秒

千葉某所'04秋『こんな角度ならパリのノートルダムと間違える!?わけないが。』

ケータイのその後・・・といっても機能をレビューするワケではない。

今日、同僚のA氏から「ケータイ買った」・・・あれ?なんで知ってんの???と思っていると、おもむろに懐から小さなPHSを取り出しやがった。なんや、尋ねたわけではなく主張したかっただけのようである。なるほどdocomoではなく、確かに小さい薄い、もちろん我がM702iSよりも。まぁいいのだ、docomoの呪縛からは逃れられないだろうから。

しかし同時期に買い換えたのは偶然ではある。
A氏とは彼が引っ越す前は毎晩といっていいほど彼の車に便乗して自宅まで送ってもらっており、車中では、色んなブツについて買っただの要らないだのどうだろうだのと、くっちゃべっておったものだ。特にデジカメなんかは「新しいxxxってどうやろ?」「xxxはえーけど...やし要らん」とか、最新機種まで知っているのにはお互いに「なんで知ってんねん!」といった感じであった(あ、今でも)。もちろんその中から実際に購入に至った事は滅多にない、カー雑誌のようなモノである。
しかしやはりこだわるところは若干違い、彼はさすがに光学系技術屋だけあって、カメラからテレビからスキャナから・・・いわゆるビジュアル系(ちょっと違うね)にこだわるクチであり、そーゆーとこにはお金をかけるのである。ワタクシは目的にあったモノを、なるべくシンプルに、絶対に好みのデザインで、といった風にこだわる。彼は家電には弱くワタクシ高級AV系に弱いのである。

同じく同僚にツーカーフォンというのを持っているヤツB氏がいる。先日ショップでケータイを買ったときに、「ツーカーが使えなくなるから知り合いに使っている人がいたら新しい機種を(ウチで購入するよう)言ってあげて」みたいな事を言われて「まさかおらんやろ」と返しといたが、彼がそうであった・・・。何でも「機種変更したら使い方憶えなアカンし」と延ばし続けているらしい。

ところで、B氏、ワタクシに連絡をとるために、我がM702iSへ(行き先掲示板もちゃんと会議室にしといたのに)わざわざかけてきよった。もちろん最初の着信である・・・空しい限りである・・・バチが当たって彼は明日東京日帰り出張である(しかも客先)。
それを近くで聞いていた前者の同僚A氏、直ぐにかけてきよった・・・電話には出ず「もうええ!!」と、ニタニタ顔でケータイ持ってる彼に向かって叫んだのは言うまでもない。
(いつもそんな事してへんで~いちおー会社やし)

あま~い、xxxジュース2006年12月22日 00時45分45秒

千葉某所'04秋『ひっさの好きなキャラクター達、むっちゃ高価!もちろん買ってない』

スーパーに行く機会があり、そこでトマトジュースを買った。

『特売』と書いてあったが、缶のもので\118、あまり特売ではない気がするが・・・。何の気なしに買ったが、このトマトジュース、北海道の平取町の農協が作っているらしい、現地自慢の桃太郎トマトで作ったようだ。
なるほど確かに、デルモンテとかカゴメとかとは異なり、あまいのである。あまみが多い分、酸味が足りない気もするが、トマトが嫌いでなければ単なるジュースとしてゴクゴクいけそうだ。
だがそのスーパーではハンパ品での特売だったのであろう、もう扱わないだろうな。

この他にニンジンジュースもあるらしいが、ニンジンは生では・・・アメリカの国内線の機内つまみに出てきたニンジンを思い出してゾッとしてしまう・・・。

サンタの遷移(シロ~グレー~漆黒)2006年12月23日 01時30分19秒

千葉某所'03秋『誰もいない平和な朝』

小学生になるまではサンタはシロであった。

低学年の頃からはグレーとなり、今では漆黒のサンタ(別名:暗黙のサンタ)である。
今でも「サンタは居る!」と言い張る。しかしその一言は小学生以前の様な純粋な言葉ではなく、その裏側には、ずるがしこく腹黒くチョーシいい魂胆が見え隠れ・・・否、ありありとうかがえる。こちらもかけひきで応戦するのだが、なかなかツボを踏んでくれる事がない。
サンタへのリクエストも必ず両親に向かって(以前は内緒でなかなか教えてくれなかった)、クリスマスが近づくと「クリスマスになる前に来るようお願いしといたし!」。
もはや我が家では、クリスマスの皮をかぶったお年玉化している。

サンタと言えば、その昔、ヒジョーに悲しい思い出が・・・クリスマスの朝、枕元に置かれていたのはノートと鉛筆・・・小さい頃のサンタのプレゼントは、悲しいかな、それしか憶えていない。・・・まぁこんな事も今となっては遠い日の思い出。

結構歩けるもんだ。2006年12月31日 04時03分29秒

千葉某所'03秋『朝練風景』

今年の職場の忘年会は珍しく御用納めの日だった・・・

以前は12月の金曜と決まっており、近年は金曜の予約がとれずに平日になり、たいがい1次会で帰る事となっている。しかし今回は3次会まで付き合い、解散は午前2時半。繁華街のタクシー乗り場ではタクシーもつかまらないので、歩いて帰る事とした。(途中、空車のタクシーを見かけたが、『もうええわ』って感じで歩き続けた)

河原町通りを北上し丸太町まで、西に曲がって御所を通り抜けて烏丸通り、そこからはクリスマスの残り灯とチラつく初雪を眺めながら、寒さに負けず・・・結構歩けるもんである。
御所では誰一人として出会わず、警備の車の灯火を見ただけである(ご苦労様)。昼間と違って外灯のないところでは真っ暗闇、何度も来て道を知っていないと迷ってしまうところだ。

調子に乗って今日も買い物帰りの昼間に30分歩いたが・・・そう!、買い物帰りとゆーことは荷物がぁ・・・途中で後悔したが後のまつりであった。

BLOG更新、今年はコレで終わり。良いお年を・・・