歩いて惨劇3、山頂まで。 ― 2009年07月28日 00時11分51秒

山頂へと向かい始めると、下りてくる人がやけに多い。
きっと、午前中に山を登り、山頂で昼食、で下りてくるのだろう。が、追い越す人はおらず、時折人を追い越している。息は切れ切れながらも順調に山頂に近づいているのかもしれない。しかし、急なところでは、挨拶の声も出せないほどハァハァと息を切らしてしまっている。こんなに切羽詰まったようなハイカーも居ないかも知れない。
7合目付近でも休憩所があり、ここから水尾(柚子の里)・保津峡方面へも下りられるようである。さっさとソコを去ると、ほどなく山門が見えてきた。5合目休憩所から40分経過していた、が、さらに先は長いよーだ。にわかに人が多くなってくる。
...と思ったが、間もなく石段などが現れ、石灯籠の続く神社下の広い平地となった。山頂の愛宕神社にたどり着いたのは、5合目から約1時間後、5合目で入手した情報、1~1.5時間は当たっており、頑張った甲斐があって早めに到着したようだ。
神社で少し撮影、結構立派なモノである。社務所やら神主さんっぽい人もいただ、ココに住んでいるのだろうか?それとも毎日登って通っている??? さぁ平地に下りて予想外の自販機で高額な飲料をむさぼる。水はもう少し残っていたが、コレは下山のための水、大事に育てるのダ。
しかし朝8時から、昼食時以外はほとんど歩きっぱなし、足も着かれている、下山には注意せねば...
歩いて惨劇2、愛宕山方面へ。 ― 2009年07月27日 00時58分39秒

さて、清滝の橋付近に戻ると、駐車場のある河原ではバーベキューの家族連れやらで賑わっている。
そんな光景を横目に、とりあえず高雄山方面と思われる方向に向かってみる。車のあまり通らない細い舗装道、両脇には真っ直ぐな木々が美しい。しばらく歩くと、上方向への分かれ道が。たまたま通りかかった人に高雄山方面はどっちかと尋ねると、なんとその方面への分かれ道は行きすぎていたらしい。しばらく考え、上方向への愛宕山へと向かう事にした。
愛宕山と言えば、ひっさも確か小学6年生で遠足に行った地、さほど大変でもないだろうと高をくくっていたのだが...これが、歩けど歩けど人に会わないし(あたりまえだが)上り坂が続く。分かれ道も1つありとにかく上へと向かってみた、時刻はまだ早いので取り返しはできるハズだ。
いい加減不安になってきたところへ、ようやくハイカー一向に出会う。愛宕神社への道を尋ねると、もうすぐ5合目の休憩所だと言う。えっ、まだ5合目にもたどり着いていなかったのか...清滝から山道に入るのにも結構時間がかかったからなぁ...などと思いつつ、さらにその手前に分かれ道があるから左へ行けと言う言葉に従い、どんどん進んでいく。で、ようやく休憩所らしいところにたどり着いた。そこで休憩していた人に、山頂までの道のりを尋ねると、1~1.5時間はかかるという。
このまま違う道を下山すれば、表参道?というトコロに出るらしい(後で調べると軌道のトンネルとかがあって険しいなりに楽しそうだった)。が、ココは『こどもの遠足に負けてたまるか』と心を奮い立たせて、いざ山頂へ!
ほとんど休憩無く、水も尽きそうではあるが。よく確認すると、清滝から(山道と言えど)わずか1時間半、午後1時であったのダ。
15回目:足首痛のため、徒歩
昨日は全くナンともなかったのだが...とりあえず歩いてみた。スパートの必要がないのでと、いつもと逆行すると、いつもと違う景色が見える。
記録:40分06秒
歩いて惨劇1、清滝まで。 ― 2009年07月26日 00時48分10秒

惨劇もタダでは起きない報告である。ジツは『1日でどれくらい歩けるモノなのか』の実験を終了する直前に起こったモノである。
朝、8時過ぎに自宅を出発、とりあえず、2年前にこどもたちと歩いたのとほぼ同じルートをたどってみた。2年前はこどもたちのペースで4時間半かかった。が、ジツは大人の足では2時間半で到着する事が分かった。自宅~妖怪ストリート~御室仁和寺~宇多野~広沢池~鳥居型~清滝、のコースである。
2年前は途中で足の付け根が痛くなったのだが、今回はそーゆー事は一切無し。その要因は...早くても短時間での走行がヨカッタのか、最近週に1度は御所を走っている効果が出てきたのか、の、どちらかと思われる。
梅雨の合間のうっすらと晴れた日、草木や花もしっとりした感じ、紫陽花の花も美しい。宇多野を超えると車も少なく、歩行速度も自然にアップ。ロードサイクルの連中が次から次に追い越していく。歩いている人はほとんど居ない。
清滝トンネルでは、出がけに「サスガに昼間は使わないだろう」とひっさのチャリからパクッたライトが頼もしい。歩きなのでライト無しでもOKなのだが、行き交う車に自分の所在をアピールする絶好の道具となるのだ。バスが通るとトンネルの幅の狭さにひやひやモノだが。
さて、清滝トンネル。この次の日から3週間ほど工事のため通行止めらしい。聞くと、通行止め期間はトンネルの上の険しい坂道をバスは通るのだという。ソレはソレで結構おもしろいカモ。
誰もいない清滝の河原では案外ヒマで、ちょっと水に浸かってオニギリを食べて...僅か1時間の休憩で、高雄山方面へと向かった...ツモリが道を間違えたらしく、愛宕神社のある愛宕山への歩行となった。
14回目:こちらも復活、完走
3週間ぶりにもかかわらず、タイムが大幅にアップ、近々の目標の20分も近い。息苦しさが和らいでおり、呼吸も4拍子と3拍子の間を行ったり来たりできるようになった。タバコの量を減らしたためか、タバコの銘柄を1ランクダウン(タールやニコチン量は1/3)したためか。これほどタイムアップすると嬉しいモノである。顔見知りと出会い4組目、こちらから見つける事ができると、コレも結構楽しみになってきている。
記録:20分13秒
十三詣り ― 2009年04月11日 23時55分49秒

十三詣り、今日もひっさ系の話だ。クソッ...
京都では平安京の頃、13歳になると大人としての十三詣りが行われていたらしい、今日の成人式の如く。また、人生初の厄年ということで、厄払いの意味もあり、ソレが今日も続けられているとのこと。
たぶん京都近辺にしかない風習だろう。(ワタクシ、十三詣りという言葉自身が初耳であった。)
神社やお寺、開けたところではたいがい行われているようだが、ソノ道で有名らしい嵐山の法輪寺へと赴いた。久々の阪急嵐山線ではこの時期は各駅で桜の開花が目白押し、停車する度に咲き乱れる桜に目を奪われる。
しかし反面、人の多い事多い事、松尾寺や嵐山への観光客が大半を占めるようだ。我々が帰る頃、ちょうど昼前には、嵐山駅で観光客が大挙して電車から降りてくる。終わってから嵐山でも散策...と考えていた計画は、これらの様子とひっさの中途半端な遊び約束でかき消されたのは言うまでもない。やはりええとこは朝早く着いて昼頃に帰宅するのがイチバンだ。
さて、桂駅から徒歩2,3分で法輪寺に到着。石段を上って、本堂横で受付を済ます。ナンでも参拝の最初に半紙に自分が大切にしている漢字一文字を毛筆でしたためる、らしいが、半紙ではなく申し込み書のようなモノに。ひっさも何て書いてたかな???『人』みたいな感じだったと思うが...まぁええか。ちょっと聞こえてくる話には、高槻からわざわざ来ている人もいるようだ、ビミョーに近いから”わざわざ”という程でもないが。
待ち時間に、そこら辺を撮影。桜もそんなに多くあるワケでもないが、展望台が気持ちいい。嵐山周辺を一望できるのダ。
さぁ、十数人団体で、お経をいただく。最後にお経のリズムに乗せてそれぞれの住所と氏名を読み上げるのだが、コレは妙な感じで少し笑えた。10分から15分程度だっただろうか。
結局、到着から40分間で全て終了。仕上げは、寺入り口の渡月橋がわりの短い橋を渡って、全て完了。「渡月橋を渡りきるまでに振り向いたら、もらった知恵を返してしまうから振り向かないように」との事、渡月橋も直ぐ近くなのだが車で来る参拝客のため、身代わりが設えてあるのだろう。
どっと湧いてくる観光客を後目に、そそくさと帰路に着くのであった...何だか中途半端に終わってしまった感じを残して...
最後の沢ノ池はトレッキング ― 2008年10月19日 01時53分56秒

またまた沢池にいってきた。
過去2回は自転車で鷹峯まで自転車で、あとは山道の往復だった。今回はバスで福王子まで、そこから山中を歩き沢池へ、また山中を鷹峯まで降りて、鷹峯からバスで、といった行程である。
行きのバス内は我々もそうだが、金閣寺観光やら立命館大学生やらで混雑状態。しかし福王子に到着下頃には車中はほぼ我々だけでガラガラだった。福王子のバス停から暫くは舗装道路を歩行。ここからようやく沢池までの(休憩を挟んでの)2時間弱のトレッキングが始まった。
大人とこども合わせて総勢30名ほど、狭い山道ははやり1列歩行である。片側崖の険しい登り道を連なって登っていく。そのうちに、両側ちょい崖や、草むら(?)も現れ、一部を除いてほぼ登り道は先日の筋肉痛を運動で迎え撃つ格好となって、足の張りもほころんでくる。
45分後(もっと時間がかかったように思われるが)、町並みが見下ろせる岩場にての休憩。きびしい登り道も、やはりこういう景色を眺められるのが、一番の楽しみだ。
しばし休憩の後、再び山中へ。今度は狭い道が溝のようになっており(降雨時に水が流れるのだろうか)余計に狭い、歩行が難しくなってくる。が、こどもたちは元気だ。歌いながら、しゃべりながら、黙々と、各者各様、頑張って歩いている。こちらもヒザにちょっと違和感をおぼえ出した頃、道も平らになり、湖畔路へ出たのであろう事がわかる。湖畔路をしばらくぞろぞろとかっ歩して、岩場の休憩から約30分で、ようやく沢池に到着! 茂みの中から現れる湖面は、カンドー的でさえある。
現地ではさっそくお弁当、その後めいめいに、湖畔巡り・カエル捕り・どろじゅん・水遊び・空気鉄砲つくり・石投げ・コマ、多彩な遊びに興じていた。
さらにこどもたちお楽しみの、焚き火でのマシュマロ・干し芋が終了する頃には、予定の2時間半の滞在時間も過ぎていた。
帰りは鷹峯の方へと、平らな舗装道路に続き、山道もわりとなだらかな下りで楽ちん、その後の舗装道路もずんずん歩き、バス停へと。帰り道で一番キツかったのは鷹峯の坂だったカモ知れない。
バスを降りても街中を歩行。途中休憩の公園でもこどもたちは遊具で遊ぶ...誰一人休憩していないところがスゴイ...
とゆーことで、筋肉痛もすっかり治り、自然の中のいい景色、トレッキングでの気持ちのいい汗、すっかりリフレッシュさせていただきました。
湖南アルプス満身創痍~最終章~ ― 2008年07月01日 00時51分12秒

さて、ようやく長い難所をぬけて、川で休憩。
妙に浅い川で人工感たっぷり。しかし、アカハラやミズスマシなど生き物は自然そのまま。しばしの休憩後にさらに麓へと向かったのだが...ココでワタクシ大失態!(ってほどでもないが)
いかにも滑りそうな川の岩場で、モノの見事に滑ってしまい、左足外側半分(ナゼだ?)びっしょりと...麓に着いてからも地元のこどもたちがママチャリで進む川を、「えーい!どーでもええわ!」ってな感じでザブザブ渡ると、当然、靴の中もズクズクの水浸し。たまには思い切りも必要である(必要ではない)。
その後のわき水の旨かった事。思いの外汗をかいて、お茶も尽きていたので、嬉しい事である。
結局この日は、出発前の8時半くらいから、帰りの石山駅16時過ぎまで、トイレに行かずに済んでしまった。汗で水分がぜーんぶ出てしまったのだろう。小雨模様に騙されたが、Tシャツも少しクサイくらい汗をかいてしまったようである。
帰って水分を元にもどしても、体重1kg減...と思っていると、2日経った今日は0.5kg減まで回復?していた。くそっ!
そーいえば、帰ったら optio W60 が到着していた。次の記事はファーストインプレッションかな。
湖南アルプス満身創痍~第2章~ ― 2008年06月30日 00時17分55秒

鎧ダムでのお弁当。
ダム上流の干上がった川の畔で食べ始めるが、間もなく小雨も降ってくる。こどもたちもめいめいに遊んで、いよいよ尾根づたいのハイキングならぬトレッキング?となるのだ。
干上がった川を上流に進みんで再び山中へ。小雨は降ったり止んだり。鳥の声を聞きながら(ウグイスが特に気持ちよい)25分ほどするとここからがいよいよ歩行難所&絶景が続く尾根づたいコースだ。
休憩を2つほど入れたであろうか、1時間10分程は絶景と難所の雨あられ。時折降る小雨も気持ちがいい。尾根づたいなので休憩時には左に谷と山、右に谷と町並み、の絶景が広がる。(沢に入ってからはずっとそうなのだが)行き交う人も全くナシ。自然の岩であるらしいモアイ像のような岩。一種の別世界を味わうのだった。
しかし難所続きのため、感覚的には2時間も3時間もこの状況に放り込まれていた気がする。しかしこの異色の絶景、やはり苦労してココまできたかいはあったと思う。
湖南アルプス満身創痍~第1章~ ― 2008年06月29日 17時58分14秒

さて1章。
JR石山駅からバスでアルプス登山口まで行くのだが、バスの発車時刻を逃して45分程度の待ちぼうけ。その間、こどもたちは、その辺の地べたでトランプしたり、ランニングしたり、ヒマという事でワタクシの相手をしてくれた(?)り、思い思いに過ごしてからいざ出発。唐橋橋の渋滞にはマイッタが、客の少ないバスではずっと座ってられたので、逆にゆっくりとできた気がする。
バスから降りていざ出発、30分程、天神川沿いの舗装道路を歩く。車も少なく木々も生い茂り川の音も近くに聞こえる。お不動さんでの休憩時には、お下がりのお菓子を頂き(ありがたい事です)、いよいよ鎧ダムへの沢道に入る。川へ降りるときにバーベキューの家族連れ「どこまで行くの?」にこどもたち「鎧ダム」、「そんなん直ぐソコやん」...イヤイヤ、我々はソコからが本番の山登りが始まるのだよ。
沢道に入ると、山道を登ったり下ったり、「以前はなかった」という鎧ダム風のダム(滝?)もあり。沢を何度横切っただろうか。ワタクシも最後尾だったため、一瞬一行を見失い、たまたまあった別道っぽいモノに騙されて進むと結構険しいむき出しの坂道で「まさかこんなところそんなに早く登れへんやろ」と引き返し、やはり沢道をうねうねと進むと、一行が待っていてくれた。オサワガセしました...
間もなく鎧ダムに到着。沢道に入って僅か25分くらいだ。ウワサの鎧ダム、1:2くらいの石段の積み重ね、ダムと言うより急勾配の階段のようだ。水も水もちょろちょろと流れて、その上に干上がったような川が...昔はどうだったかわからないが、水をせき止めるためのものではなく、それ自身でため池をつくっているようである。現に少し下流にセメント製のせき止め用堤防(っていうの?)があった。
こどもたち数名は、階段状の鎧ダムを降りての探検。その後、お弁当の時間となった。
この時、ワタクシ既に、体調不良か運動不足か、疲労が激しくいつも以上に無口になっていたのダ。
湖南アルプス満身創痍~序章~ ― 2008年06月28日 23時55分45秒

こどもたちと湖南アルプスへ出かけた。
目指すは、天神川~鎧ダム~宝山~天神川、山頂をぬけるコースである。何でもこの辺りは、檜の伐採によって花崗岩の地肌が剥きだし、そこに砂利が乗るという、人災によって生まれた奇異な風景が広がるようだ。水晶やめのうなどもあるという話だが、今回はあまりゆっくりしているヒマなどなし。
その宝山の尾根づたいを歩きぬく事になるのだが、そんな地肌むき出しの所に限っての急勾配、歩くと言うより「滑る、しがみつく」がよりぴったりな表現だろう。擦り傷切り傷、服も汚し、滑って沢に足を突っ込み、繰り返す上り下りや細かいステップが必要とされる足下、最後には浅い川を渡るのも「もういいや」と靴のままザブザブと(疲れ切って自分のことなどどーでも良い状態)...
当に疲労困憊・満身創痍な状態でツアーを終えたのだった。しかし、こどもたち高学年ともなると元気やなぁ...
内容の紹介は、少しずつ。
なっ、らっ、けんこーらーんど ― 2008年05月06日 00時03分32秒

京都地下鉄から竹田駅で近鉄急行に乗り継ぎ、そこから直通で50分程度で平端(ひらはた)に到着。10分程度の連絡で、無料送迎バスに乗り込み10分程度で到着した。
到着はプールが開場する10時頃だった。
やはり雨模様なので、室内施設を選び、やはりココはひっさの大好き水モノの屋内プールを探した。2年半前に行ったスパワールドは、毎月男女風呂入れ替えがあるのだが、今月は前回と同じだったので止めておいた。が、遊べる室内プールとなるとなかなか無いのだ。やっとのことで、(ずっと前はローカル放送で冴えない落語家がCMやってた記憶がある)奈良健康ランドを探し当てた。
やはりGWはどこも混んでいる。しかも料金も1.5倍。だが、宿泊での1.5倍を考えると、入場料の1.5倍は損した感は少ない。
早速プールへ、流れるプールやジャグジーで遊びくつろぎ、早めの昼食も済ませると、がぜん混んできた。レンタルしたフロートも人混みでプールに入れられない状態。さぁプールはこのあたりで上がり、次は風呂だ。
...といっても、設備的には最近のスーパー銭湯に追いつかれつつある。広さでは少々勝っているが。これらを考えると、やはりスパワールドの広さと種類は群を抜いては只者ではない。
それでもココで印象に残った湯があった。
ひとつ、毎月変わるのだろうか、変わり湯。今はチョコレート湯とゆーのがあった。色はキモいが、湯に浸かるとチョコレートのような香りが鼻をつく。長湯はしたくはないが、その名の通りちょっと変わった湯であった。
ジェットバスは、今まで見た何処よりも泡がきめ細かく、ナカナカ消えない。ひっさも泡をすくって遊んで?いた程だ。
露天風呂は天然温泉。ひとつは塩入りで海辺の露天風呂をイメージしたのであろう、懐かしい感じだった。もうひとつは大和の湯、スーパー銭湯「大和の湯」はココから温泉を運んでいるのだろーか???
風呂を上がると、ひっさと相方はゲームコーナーで恒例のUFOキャッチャー。何やら数個ゲットしていた。食事も高価だったし、空腹感も少なかったので、早々に送迎バスに乗り込み、今度は天理へ。
天理で駅前をちょっと散策したが、大した成果は得られず、「天理教」と背中に文字のはっぴ姿の大勢の若者が居ただけである。
帰りも近鉄で、帰宅は5時半。ひっさ、早々に睡眠に入ったのだった。。。
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